第11章・ことじと戦争―美しきは何処へ―

土屋華章の《華》・いよ子がその若き生涯を閉じた昭和15年(1940年)は、日本の『紀元2

千6百年』と称され、わが国が日中戦争から太平洋戦争へとその戦力を拡大していくターニン

グポイントとなった年である。

『紀元2千6百年』とは、日本書紀の神武天皇から数えた皇紀が2600年にあたるという非科

学的な紀元ではあるが、各地で催されたその記念・祝賀行事は《国家の精華》と《皇威の宣

揚》という日本型ファシズムを説くための絶好の機会として利用された。

その前年の1939年、ドイツ陸軍のポーランド侵攻を受け、イギリス・フランス両国はドイツに

対して宣戦を布告。第2次世界大戦ヨーロッパ戦線が開戦した。日本の陸海軍は、急変するヨ

ーロッパ情勢の分析と日独軍事同盟をめぐって対立し、第1次近衛内閣が総辞職。

目まぐるしく変化する世界情勢に振り回され、思考停止状態に陥った日本政府は、その後1年

の間に、平沼→阿部→米内内閣が成立・総辞職を繰り返す。その政治崩壊の中で、陸軍の

独裁体制が着々と整っていくのである。

混迷を呈する政況で、強力な政治リーダーを求める声と共に、近衛文麿(枢密院議長)を中心

とした政治体制再編運動(近衛新体制運動)が起り、昭和15年(1940年)7月に第2次近衛内

閣が発足。だが、この新内閣は、実際のところ東条英機陸相・松岡洋右外相らの枢軸重視内

閣であった。

《政治体制再編運動》には、政治・軍部・革新的インテリ層・右翼がそれぞれの思想をもってこ

れに参加。『ナチスばりの一国一党を目指す』という独裁体制構想の気運に国民は《乗り遅れ

るな》とばかりに飛びつき、各政党は次々に解散・解党、また国内体制の全面的な再編成を

軸に《町内会》《隣組》の全国的な整備が施された。

国民生活にも、この日本型ファシズム構想は暗い影を落とし、昭和14年の国民精神総動委

員会提唱の『国民生活要網』によって、《報恩感謝》《倹約貯蓄》《娯楽・歓楽場の興遊時間短

縮》《パーマネント廃止》《学生の長髪禁止》などが決められた。翌年の4月には、米・味噌・醤

油・砂糖・マッチなど主要10品目に対して切符販売制度がしかれ、国民はいよいよ日々の糧

においてもその自由を奪われることになる。

個人の思想・言論・表現の自由も全面的な統制弾圧下に。戦争遂行の障害になる自由主義・

民主主義思想は不遥思想とされ、個人が少しでも〈不遥な〉言動をするものなら、すぐさま《隣

組》の厳しい目が光る。隣組は、国民の《互助組織》であると同時に、《相互監視》の役割を担

っていたのである。

昭和15年7月、《奢侈品等製造販売制限規制》がしかれる。贅沢品・不要不急品・当該規制

にあった規格外商品についての製造販売の規制である。規格外商品とは、《絹織物》《指輪や

ネクタイピン等の装飾品》《銀製品》《象牙製品》などの高級品。販売製品の禁止は、生活用

品・節句用品・文具に至るまで及んだ。

水晶や瑪瑙などの製品はその対象から外されたのが唯一の救いで、製品の多くは、日本軍

の占領した満州・支那方面への輸出品として製造され、その需要販路はかろうじて保たれは

した。しかしながら、この規制によって国内需要はすっかりと冷え込み、土屋華章の商いも大

きなダメージを与えられる結果となる。

8月、東京市内の繁華街に『贅沢は敵だ!』という1500本もの看板が掲げられる。人々の恰好

も、モンペにゲートルという非常時スタイルが急増し、街から華やかな色彩が一気に消え去っ

た。元来美的センスに優れ、美しい物・瀟洒な物を好むことじの夫・孝は、《美と彩り》の消滅し

た日本の姿を何よりも憂いだ。

『美しいモノを作ること、そしてそれらを愛でることは、贅沢ではない!!』

孝は声を殺して叫んだ・・・・・・。

フランス戦線に勝利し、欧州の大部分を手中に収めたドイツ・ナチス軍が、突如、独ソ不可侵

条約を破ってソ連侵攻を開始したのが6月。それを《ドイツの勝利は固い》と誤信した陸軍が、

政府を無視して日独同盟に踏み切ったのをきっかけに、9月、近衛内閣はついに日独伊三国

軍事同盟に調印する。これで、米・英との対立は決定的となった。

先の大戦以降、主にアメリカやフランス、イギリスなどへの製品の輸出を行っていた土屋華

章輸出美術製作所にとっても、この《日独伊三国軍事同盟》は絶望的なノックアウトパンチとな

った。『Beautiful!!』『Graceful!!』と目を輝かせて製品を買い求めていったあのバイヤー

達は、今では《敵国の人》。

《唐美人》《観音像》《花器》・・・・夫やその弟子達が丹精込めて作り上げた美しい美術彫刻品

や首飾り・・・店先に並んでいたそれら全てを、ことじは一つ一つ丁寧に柔らかな布に包み、そ

っと箱に収めた。

『これらが、飛ぶように売れる時代が、自由にモノを作り、自由に売ることの出来る時代が,

必ずやって来る!』

『美しいモノ万歳!』『贅沢万歳!』・・・・・・

《トラ・トラ・トラ》―ワレ奇襲二成功セリ―

1941年(昭和16年)12月7日、日本海軍・ハワイ攻撃隊長/渕田美津夫が、日本に向けて打っ

た電信。ハワイ・真珠湾沖での日本海軍によるアメリカ海軍・太平洋艦隊及び航空基地への

奇襲攻撃成功・・・・パールハーバーアタック即ち真珠湾攻撃により太平洋戦争(大東亜戦争)

が開戦の火蓋を切った。これにより、第2次世界大戦は、ヨーロッパ・北アフリカのみならずア

ジア・太平洋を含む地球規模へと拡大していくこととなる。

土屋華章の輸出稼業を盛り立ててくれたアメリカ人達。彼らへの奇襲攻撃成功を伝えた《ト

ラ・トラ・トラ》は、奇しくもかつて孝が切り出し、古賀逸策が発明した《零温度水晶振動子》によ

って発する安定した周波に乗って正確に日本に伝えられた・・・・・・・。

画像

瑪瑙の唐美人彫刻

《ことじと戦争―美しきは何処へ―》のお話は、ここまでです。辛く悲しい戦争の渦へと巻き

込まれていった日本の人々。自由にモノも作れず、販路も完全に失った土屋華章は、その後

どのようになっていくのでしょうか?次回は《ことじと戦争―さようなら魚町―》という内容です。

お楽しみに!                                        アオちゃん