-人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵なり- 風林火山の軍旗を掲げた武田騎馬軍団は戦国最強と評され、それを率いた武田信玄は《甲 州の虎》という呼び名で恐れられた甲斐の勇将として知られている。信玄は本国甲斐には生 涯一度も…
番外編・土屋華章のご先祖様たち-その①土屋惣蔵昌恒-
『申し上げまする!我ら赤穂藩・浅野家遺臣47士、家老・大石内蔵助良雄を頭に本日、主 君浅野内匠頭の無念を晴らすため、吉良屋敷に討ち入りましてございまする。火の元万事念 入りに仕り致してお手数はかけ申さず、必ず必ず加勢にご…
ことじ物語-エピローグ-
《高いところから立ち並ぶ屋根をみていると、どこの家も皆平穏にその日一日を暮らしている ように見えるけんど、ひとたびその屋根を取り去ってみると個々の家々には大なり小なりの 喜びや悩み、笑いや涙があるもんさぁー》 ことじお祖…
第16章・琴の音色は・・・
母が選びに選んだ揃いの一張羅を着せられ、テレビカメラのモニターに映る自分達の姿がお かしくて、私達三姉妹の《変なポーズ》は益々エスカレートしていった。 まだ弟が生まれていなかったのだから、確か私が幼稚園に上がる前のことで…
第15章・ことじの戦後―半生の集大成―
ことじは座敷の片隅にそっと《それ》を飾り置いた。 さり気なく、しかし確実に目が留まる場所に・・・・・・・。 亀之助が技能者養成所を設立し、東京などから彫刻の専門家を招いた講習会を開催してい た以前にも、水晶美術彫刻協同組…
第14章・ことじの戦後―技術の伝承―
《蓋に兔、両把手は象の鼻、胴には鶏》・・・職人・土屋華章(ことじの夫・孝)の作製したもの の中で、代表的に知られている《水晶花瓶》という作品がある。 これは、大正天皇のご大典記念に際して大正4年に献上・ご喜納となったもの…
第13章・ことじと終戦―希望の音色―
《堪へ難キヲ堪へ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・・・朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国二対シ其ノ共同 宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ・・・・》 昭和20年(1945年)8月15日正午のラジオによる天皇の玉音放送により、日本国民に対し 盧…
第12章・ことじと戦争―さようなら魚町―
戦局が泥沼化の様相を呈し、米・英・仏などへの販路は勿論のこと、《贅沢は敵である》とい う風潮から国内においてもその需要は皆無といっていい状態に陥った(事実、国民生活は窮 乏を極め、人々は食べることが精一杯の毎日であった)…
第11章・ことじと戦争―美しきは何処へ―
土屋華章の《華》・いよ子がその若き生涯を閉じた昭和15年(1940年)は、日本の『紀元2 千6百年』と称され、わが国が日中戦争から太平洋戦争へとその戦力を拡大していくターニン グポイントとなった年である。 『紀元2千6百…
第10章・ことじの悲しみ
わが国は、1931年(昭和7年)の満州事変を皮切りに大陸での侵略拡大を本格化させ、その 翌年に関東軍の絶大な援護によって建国された満州国が、《日本の本土及び朝鮮半島(当時 の支配下)の防衛と大陸利権確保のために作られた傀…